なぜ、無名時代のSMAPがバラエティ番組のレギュラーに抜擢されたのか??→その裏にはジャニーさんの粋な計らいが。。。

【PR】Akogare




SMAPのバラエティ番組の原点『夢がMORIMORI』

SMAPが歌手デビューしたのはアイドル氷河期の1991年だった。この頃はちょうど光GENJIブームが収まった後で、歌番組が絶滅の危機にあった。そこでSMAPの敏腕マネージャーだったI女史は歌手路線ではなくバラエティ路線へと舵を取り、1992年の4月にフジテレビ系で『夢がMORIMORI』というバラエティ番組のレギュラーをSMAPに任せたのである。

この番組はSMAPが女装をしたり、泥まみれになったり、顔面にパイをぶつけられたりするというもの。 後にバラエティで活躍するSMAPの原点とも言えるだろう。当時アイドルがこうしたバラエティのお笑いをすることは珍しく、深夜枠にも関わらず最高視聴率19.4%の人気を叩き出すほどの人気番組となった。この番組の功績によって、草なぎ中居香取は『笑っていいとも!』のレギュラーに抜擢されたのである。

フジテレビはなぜ無名のSMAPにバラエティ番組の枠を用意したのだろうか。
その裏にはジャ二ーさんの行動があった。

枠が取れた理由はジャ二ーさんの懇願・・・

無名のSMAPがフジテレビで『夢がMORIMORI』の枠が取れた理由を、当時番組ディレクターだった荒井昭博(現:フジテレビ総務局長)さんはこう語った。

「ジャニーさんに頼まれたから」

局側は積極的にSMAPを起用したわけではなく、ジャニーさんの懇願によってSMAPはレギュラーを得たのだった。
体を張ったお笑いをさせて失敗してまったら、正統派アイドル路線も閉ざされる。SMAPが再起不能になってしまう可能性もあったが、それでもSMAPならと信じたのだ。

果たして、誰よりもSMAPを信じていたジャニー喜多川社長は解散をどのように受け止めたのだろう・・・。