柳裕也投手が背負うプロへの想い。それは母と亡き父への恩返しだった。

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今は亡き父とのエピソード

柳裕也投手は小学校3年生の時に地元の少年野球チームに所属して野球を始めました。
父・博美さんには野球の経験がありませんでした。
しかし息子のため、野球の入門書を片手に野球を教えていたそうです。

そんな父のことを柳裕也投手はこのように振り返っています。

「よくキャッチボールをしたり、球場へ車で送迎してくれました。父は野球経験がなかったので技術的なアドバイスはありませんでしたが、『野球を通じて人への感謝の気持ちを学びなさい。チームメイトや指導してくれる人に礼を失しないように』と言われたことを覚えています」

出典:FRIDAY 注目6投手を支える「家族の物語」

ある日の試合が終わった時のことでした。
試合で打たれて負けてしまった悔しさから泣いていた柳裕也投手。
そんな息子を父がキャッチボールへ誘います。

キャッチボールをしながら父はこのように話しました。

「父さんも悔しいことはいっぱいある。でも泣かないって決めている。泣いていたらお母さんが心配するだろ。男の子はどんなに辛くても泣いちゃだめだ」

その時から、柳裕也投手は「これからは泣かない」と父に誓いました。

そんな父は息子が小学校6年生の時に、突然、交通事故で亡くなります。
あまりのショックに母・薫さんは泣き続け、葬儀で喪主の挨拶ができなかったそうです。
柳裕也投手は代わりに喪主の挨拶を務めました。
葬儀に参列する方々の前で父への感謝の気持ちとともに、こう誓います。

「プロ野球選手になって家族を守ります」

母とのエピソード

以来、柳裕也投手は母・薫さんが女手一つで育てられました。

柳裕也投手は地元の中学校に進学し、学校の野球部ではなくシニアリーグのチーム「都城リトルシニア」に所属します。
その後、中学校卒業とともに地元宮崎を離れ、野球名門校・横浜高校へと進学します。

横浜高校時代には、1年にも関わらずベンチ入りするなど、順調に結果を残していきます。
しかし、遠く離れた宮崎の母のことは忘れていませんでした。

この横浜高校に所属している間、自身のグローブに

「母への恩返し」

と刺繍を入れ、育ててくれた母への感謝の気持ちを忘れないようにしていました。
その頃のことをこう振り返ります。

「母はツラそうな顔は見せませんが、苦労をかけていると思うんです。いつか必ず恩返しをする。そう決めていました」

出典:FRIDAY 注目6投手を支える「家族の物語」

母に神宮で活躍する姿を見せたい

柳裕也投手は高校を卒業すると、プロ志望届けは出さず明治大学に進学します。

当時の野球部部長、小倉清一郎さんは学費や寮費の問題から、特待生として授業料が免除される日体大を進めたそうです。
しかし、本人の決意は固く、

「六大学の舞台に立ちたい。母親に神宮で活躍する姿を見せたい」

という強い想いで明治大学に進学しました。

そんな息子の勇姿を見るために、母・薫さんは旅費を貯めては、柳裕也投手の登板試合を観戦していました。
母・薫さんはインタビューに対してこのように答えています。

「生活はラクではない。でも大丈夫です。息子が好きなことをやってくれているのが、親として嬉しい。プロのユニフォームを着てマウンドに立っている姿を見たら、泣いてしまうかも」

出典:FRIDAY 注目6投手を支える「家族の物語」

葬儀で誓った「プロ野球選手になって家族を守る」
高校の頃、毎日誓っていた「母への恩返し」
その実現まであと少し。
いや、もう実現しているのかもしれません。