悲痛 娘の交通事故、すぐさま駆けつけたが⋯
2007年1月17日午前8時8分頃。えみるさんは通学中、自宅から約130メートルの横断歩道を青信号で渡っている時、スクールゾーンから飛び出してきた3トントラックにはねられた。
直後に風見さんは妻の尚子さんと現場に駆け付けた。その光景を、今も毎日のように思い出すそうです。
「トラックの正面から下をのぞき込むと後輪の間から脚が見えた。僕が買ってあげたスニーカーを履いていた。
下敷きになっている娘を、近所の皆さんがトラックを持ち上げて引っ張り出してくれた。頭も胸も足も壊されていた。
顔は腫れ上がって…。それでも1時間半、一生懸命生きようとしていた」
加害者に禁錮2年の実刑が下ったが、裁判以降、直接謝罪を受けていない。
「謝罪して貰っても娘が帰ってくるわけではない。何も言うつもりはありません。僕の気持ちは法廷で伝えた。我が子を失
うと、どうしたら気が晴れるということはない。とにかく、もう一度会いたいという気持ちだけ」
二人の決断は⋯
事故から1年。尚子さんが妊娠。だが、出生前診断でダウン症であることが判明。
おなかに命を感じていた尚子さんには産むという選択肢しかなかった。
えみるさんが亡くなってから、ずっと後ろ向きだった家族が、長男の障害をきっかけに将来のことを考えるようになった。
ところが、妊娠8か月で長男の体調が急変し、心音が止まった。
尚子さんは母親らしいことをしてあげたいと通常分娩(べん)を選び、
胎内で亡くなった長男を“出産”しました。
「とてもつらい出来事でしたが、長男が妻のおなかにいてくれた8か月は僕らにとって大きな希望だった。
長男は『過去のことばかりにとらわれて、負けちゃダメだ』というメッセージを伝えるためだけにやってきてくれたのかな。」
冷蔵庫の中には天かすが⋯
一家の冷蔵庫には、9年前から「天かす」が置かれている。
事故前夜、風見さんとスーパーに寄った時、えみるさんが尚子さんに買ったものだ。
「理由は分からないですけど…『いいから、プレゼントなんだから受け取って』とか言って」
母への最後のプレゼントとなった天かすは、今も冷蔵庫の中で腐らず形もそのままだ。
「事故直後は見ていて寂しい思いもしたけど、今は『なんで天かすだったんだ?』と笑えるようになった。
えみるは『笑顔が満ちる子』になってほしいと命名した。
天かすは、人を楽しませるのが好きだった彼女らしいピンポイントな選択だったと思う」
今の幸せは⋯
「つらいことがたくさんあった9年間でしたが、強くもさせてくれた。えみるの事故の後は、
ありがたいと思う時間が増えた。何でもないことが幸せに思える。
中学生になった次女が『ただいま』と帰ってくるだけで最高に幸せです」