指示待ち人間になってしまったソニンの教訓に納得と共感の声があがり話題に!!

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ある事件をきっかけに…

2000年につんく♂さんがプロデュースするユニット「EE JUMP」としてデビューするやいなや、トップアイドルになったソニンさん。しかしわずか2年後、ある事件をきっかけにソニンさんの芸能活動は変わっていきます。その事件とは、当時15歳だったメンバーのユウキさんがキャバクラで飲酒している姿を報じられて解散。これをきっかけに、まだ若く経験も浅いソニンさんはパニックを起こし「なんでもやるから残らせてください。指示をください」という「指示待ち人間」が完成したといいます。

デビュー当時から自分に自信を持てず「自分は取りえがない落ちこぼれだ」という意識が強かったソニンさんは、解散が決まってさらにその気持ちが増していったといいます。そしてスタッフから「今後どうしたい?」と聞かれたときには「この先どうなるんだろう?」という焦りの思いでパニックになり、出された指示はやりきり頑張りをみせようとアピールして、自分で考えることをせずに言われたことをやるだけになってしまったと語りました。解散当時ソニンさんはまだ19歳だったそうです。この解散理由は、みんながわかっていただけにソニンさんの辛さも痛いほどわかります。

数々の悲劇

その後のソニンさんは、かなりハードな仕事ぶりで体を張る仕事が増えNGなしで何でもやる「崖っぷち歌手」のイメージに…。

そのなかでも、TBSで放送されていた歌番組「うたばん」のイメージが強い方も多いのではないでしょうか。CD発売をかけて、実家の高知から韓国まで570キロマラソンにチャレンジという企画。結果は途中で倒れてしまいましたが、CDはリリースされました。

そしてこんな企画も「うたばん」で、6万個のドミノをたった1人で並べるというめちゃくちゃな企画。再び倒れてしまい失敗、全身の震えが止まらなくなる悲惨な結果に。この頃のソニンさんは「全て一切意見を言わない結果、指示が過剰になって自分を追い込んでしまった」のだと反省します。そして「指示に反対するのは恥ずかしいことだと思ってた」とも言っています。

さらに過激なグラビアも!2003年にリリースしたソロ第1弾シングル「カレーライスの女」のジャケットは、裸エプロンの姿。ソニンさんは「私が裸エプロンやって、こんなの需要あるのかなって。でも、とりあえず言われた通りにやろうと。NOという選択肢はなかった」と疑問を感じながらの撮影だったことを告白、結果大きな話題になりました。

大きな転機

裸エプロンを機にグラビアの仕事が増え、過激なダイエットにも挑戦しました。1カ月で10キロ減らし次の1カ月で12キロ増えるリバウンドを3回繰り返して「リバウンドの女王」と呼ばれ、さらにジムでマッチョになれば「ソニンは何がしたいんだ」とネットでバッシングされる。そんなことから精神的にも不安定になり、雑誌のインタビュー中に過呼吸で倒れ救急搬送されたことも打ち明けました。

そんな自暴自棄に合格したのが、宮本亜門さん演出のミュージカル「スウィニー・トッド」でした。ソロになり試行錯誤を繰り返して「世間から消えた人になっている時、人生を一変させる出会いがあった」というソニンさん。大竹しのぶさんの舞台に影響され感動し、「誰の指示でもない、はじめて自分が本当にやりたいことを見つけた。もしかしたらここが居場所かもしれない」と思い、オーディションに挑戦し合格しました。

さらにソニンさんは事務所の反対を押し切り、単身ニューヨークに留学を決めました。帰国後は自分に自信がもてるようになり、積極的に舞台に出演して本格的ミュージカルに何本も出演し、2016年には栄誉ある「菊田一夫演劇賞」を受賞しました。まさに復活の道を自らつくったのです。

教訓とは?

舞台女優として新たな才能を開花させたソニンさん。舞台で死ぬシーンで「あ、ここで死んでもいい」と本当に思ったというほどに。そして「自分で決断した道は言い訳しない」といったコメントも。そんなソニンさんの体験や教訓に、ネットでも反響を集めています。

皆さんはどう思ったでしょうか?もし自分だったら…どう行動して行くでしょうか?

「指示でなく 決断した道 支持を得る」の教訓を披露したソニンさん、久しぶりに見た姿は本当に輝いていました。ミュージカルの出演も7月から決まっているそうです。是非、新しいソニンさんの魅力がたくさん観れる、ミュージカルへ行って観たいです。今後益々のご活躍にも期待できますよね。