冠番組で死亡事故を起こした内村の過去
これももはや伝説的な番組と呼んでいい「ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!」
同番組のキャラクター「マモー・ミモー」は大人気となり、千葉マリンスタジアムに3千人の観客が押し寄せたほどです。
1993年6月24日。
人気コーナー「やるやらクエストII」の収録中のことです。
ゲストとして参加した香港の人気バンドBEYONDのメンバー黄家駒と内村がステージ上約2.7mの高さから転落。
内村は全治二週間のケガで済みましたが、黄家駒は1週間後に死亡しました。
これを受けて番組は打ち切りに。
事態はそれだけで収束しませんでした。
ウッチャンナンチャンの出演する番組は軒並み終了。
内村にとってはつらい時期となります。
このとき、松本は因縁のあった「笑っていいとも」の楽屋へ、内村を訪ねていきました。
話の内容は特別なものではなかったのですが、その1時間ほどの会話のことを内村は「とても嬉しかった」と語っています。
「ごっつええ感じ」の打ち切りと「笑う犬」の関係
大人気を誇ったダウンタウンの「ごっつええ感じ」という番組。
あまりにも人気があったために大バッシングを受けるようになりました。
それは、このようなものでした。
「一歩間違うといじめや差別の促進になりかねない」
「下品・過激な言動、セクハラ的行為が見られる」
「食べ物を粗末にするな」
「ダウンタウンだけが特別扱いされ、他のレギュラーが不当に扱われている」
このバッシングはどんどんと酷くなり、テレビ局は打ち切りを決定しました。
その後、いろいろな番組が日曜8時枠というゴールデン枠に投入されます。
そして、ウッチャンナンチャンの「笑う犬」をその枠で放送する企画が持ち上がったとき、内村は難色を示します。
元「ごっつええ感じ」の枠に「笑う犬」が進出することに内村は最後まで抵抗しました。
そして内村はこう言います。
「俺は松っちゃんに聞いておきたい。松っちゃんがいいって言ったら俺はやる。」
内村は直接、松本に電話をかけます。
松本は快諾。
そして、「笑う犬」は「ごっつええ感じ」の枠で放送されることになりました。
松本と内村の関係
28年前の番組共演から始まった「松ちゃん」「ウッチャン」の関係。
お互いにつらい時期があり、お互い気にかけて乗り越えてきたふたり。
松本の結婚式で特別に内村だけを呼んだ理由を、松本はこう語っています。
「同期というか同じ釜の飯を食べた感じがあるから」
「うっちゃんは俺のことをいつも気にかけてくれている」
内村も以前、あるラジオ番組で松本のことをこう語っていました。
「他とは違う、特別な存在」
お互いにビッグな芸人となり、共演することはほとんどありません。
しかし、深いところでふたりは繋がっているようです。
「戦友」
そう呼べる存在なのではなのでしょう。
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