黒田博樹、「広島愛」を貫き通した彼の意外すぎる素顔とは・・・??※画像あり

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黒田博樹

野球好きなら知らない人はいない、と呼ばれるほど人気のある大阪府大阪市出身の元プロ野球選手・黒田博樹さん。父親も同じくプロ野球選手の黒田一博さんで、黒田博樹さんは黒田家の次男。日本人投手で史上初めてNPB/MLB通算先発勝利数のみで200勝を達成した投手であり、NPB/MLB40球団勝利を記録した唯一人の日本人選手という伝説を持ち、日本でもその人気は群を抜いて高いのです。というのも、黒田さんは「男気」に溢れた方で、ファンのためにプロ野球選手なら喉から手が出る程に欲しいメジャーデビューを見送ったこともありました。

カープ、ドジャース、ヤンキースと移籍をしつつ功績を残し、黒田さんが引退前の最後に選んだ球団は、年俸20億円を提示していたパドレスではなく「カープ」。しかしカープが提示したのは20億には程遠い4億だったのです。それには、「広島カープを愛した男」ゆえの選択だったといいます。

広島カープをひたすらに愛した

黒田さんの「男気」が特に目立ったというのが、「メジャー球団からの20億円のオファーを蹴って、年俸4億円で広島への復帰を決めたときでしょう。」と語るスポーツ紙記者。当時、オファーを断った黒田さんは海外メディアから“クレイジー”と報じられていました。しかし地元のある日本のマスコミは“男気のなせる業”と絶賛したことも印象的ですね。引退を考えているなら少しでも金額の高い球団へ、そうしなかった黒田さんの決断は相当な信念があったと推測できます。また、ドジャース時代にはこんなことも語っていたそうです。

「黒田がドジャースで活躍していた頃、アメリカ生活に嫌気が差し、日本に復帰するとの噂が流れたんです。情報を掴んだ巨人が獲得に動いたが、黒田は“日本に帰るときは、広島です”と断ったと言われています」(スポーツ紙デスク)

常に黒田さんの心を射止めていたのは「広島カープ」の他には無かったのかもしれません。

決断への後押し

超と付くほどの人気を持つ黒田さんが「日本に帰るなら最後は広島で」という理由以外に、強く彼の心を後押しした出来事がありました。それが2014年10月に広島を襲った集中豪雨による災害でした。黒田さんはボランティアとして被災地を訪れ、そこで見た光景にひどく心を痛めたそうなのです。その時、「今こそ広島に恩返しをすべき時」だと感じたといいます。マウンド上では投手として瞬時に様々な決断をする黒田さんですが、プライベートではまったく逆だそうで、人間味に溢れた優柔不断な性格。広島の記者が嬉しそうにこんなことを話してしていました。

「“一度焼肉と決めても、歩いているうちに、中華のほうがよかったかなと思い、中華料理店に入る”なんて話をテレビ番組でしていましたね(笑)」

また、いたずら好きでも知られるように新井貴浩選手の用具カバンに消化器を入れておいたり、「あいつはビタミンが足りてない」と言って野村祐輔投手のスパイクにみかんを仕込んでおいたりとおちゃめさも兼ね備えています。球団・仲間・ファンに囲まれ純粋に広島を愛した黒田博樹さん。引退したこれからも「カープを愛した男」として語り継がれることでしょう。