変化が見られるようになったのは2007年から始まる有吉弘行の再ブレークかもしれない。初期にはミリオン歌手となり我が世の春を極め、あっと言う間に姿を消して、毒舌で復帰。
西の芸人にはないカラーが受けたのかもしれない。同じくして、さまぁ~ず、ネプチューン、くりぃむしちゅーといったNONヨシモト芸人も幅広く活躍をするようになった。
ウッチャンの後押しが新しい風を吹かせた
NONヨシモトの芸人たちはウッチャンの冠番組「内村プロデュ-ス」(テレビ朝日系)に出演していたことも大きい。
この番組で成長した関東勢力が
“お笑いの関西一極化”
を崩し始めたとも言える。
現在も人気を保って前線で活躍する東京拠点のお笑い芸人の多くは内村に感謝し、その影響の大きさを語る。
内村自身もお笑い界では既に独自のポジションを築いている。テレビから発信すること、コンテストで優勝すること、ブレイクの流れは同じ方向から来ていたが、SNSでピコ太郎が世界的ブレイクを果たすなど、かつての公式では解が見いだせない時代になってきた。今ではブルゾンちえみのように、ほとんど下積み時代もなしでブレイクするケースもある。「よしもと」が関西お笑いブランドの巨頭であり、全国区においてもプロ育成の大手専門学校であることは、今も変わりはない。
しかし、NSCだけではなく各芸能事務所がお笑い芸人の養成学校を併設し始めていることも変化要因のひとつである。
ワタナベプロの芸人養成所ワタナベコメディスクールでは、平野ノラ・サンシャイン池崎・厚切りジェイソンなどを前面に出し、誰もが目指せるお笑いタレントを強調している。
供給側のよしもとが変わったのでも、東京本拠の芸能事務所が変わったのでもない。
受け入れ側のニーズが変わってきたのである。いつまでも、「この味」を食べ続けることはできない、選択肢のある食生活が楽しい。よしもとも頑張ってもらいたいが、ほかの事務所も新しい風を吹かせるべく切磋琢磨してもらいたい。