波乱万丈な人生を支えた音楽への思い
福岡県生まれのYUIさんは、3歳の時から母娘2人暮らしの母子家庭で育ちます。
母親は働きに出ていて家にいないことが多く、小学生の頃から一人でカップラーメンを食べていたそうです。
一人で家にいることが多かったYUIさんは、CDやラジオを聴く習慣ができます。寂しさをまぎらわしてくれる音楽の存在に支えられ、音楽を好きになっていきます。
生活は苦しく、高校に行くのもやっとの経済状況の中、学費を稼ぐためにアルバイトをしながら歌手になるという夢を追いかけて、音楽塾に通う多忙な日々を過ごすYUIさん。
睡眠時間が2時間ほどしか取れない生活が続き、体調を崩して入院してしまいます。
そこで、医師から受けた宣告に衝撃が走ります。
「肺がんで余命1年」
高校生という若さで、未来に夢を膨らませて頑張っていたYUIさんのショックは計り知れないものがあったと思います…。
「先がないなら、自分のやりたいことをやろう」と思ったYUIさんは、歌手になるためにオーディションを受ける決心をします。
主治医から1日だけ外出許可を貰い、
「このオーディションでグランプリが取れなければ夢は諦める」
という覚悟で挑んだソニーミュージックグループのオーディションで、YUIさんは見事グランプリに輝きました。YUIさんの類稀なる才能に、各レーベルで争奪戦になったといいます。
余命宣告は誤診だった…起死回生の人生
その後、医師の診断は誤診で、肺炎だったことが判明します。
ありえないことが起き、人生最大のピンチを、自分の力でチャンスに変えることができたYUIさん。
高校生という若さで生死と向き合うこととなり「好きなことをとことんやろう」といった、一度きりの人生について考える機会を与えられます。
YUIさんの音楽に対する強い思いがあったからこそ、大きな試練を乗り越えられたのでしょう。こうした経験は、音楽だけでなく演技力にも表れているのでしょうね!
YUIさんは、余命宣告を受けた時をこう振り返ります。
あと1年くらいしか持たないと言われて、その頃、15、6歳だったんだけど、全然、受け止めることができなかった。
作り話みたいな感じで聞いていたんですけど、もしそうだったらと考えた時に、やっぱり自分のやりたいことをやるべきだなと。入院はずっとしてたんですけど、オーディションにどうしてもいきたくなったので、外出許可を取って、会場に行きました。
出典:本人談
2012年にシンガーソングライターとしての活動を休止し、2013年からはロックバンド「FLOWER FLOWER」で復帰したものの、事務所との相違によるストレスでパニック障害になり活動を休止しています。
現在、結婚して双子の母親になったYUIさん。パニック障害の症状も治まり、子育てをしながら曲作りを行っているとのこと。
YUIさんがリリースした「TO MOTHER」は、多くの人の心に沁みる名曲です。
「ねぇ、幸せよ たぶん、あたし あなたが居たんだから・・・。」
また素晴らしい歌声を聴かせて欲しいですね。天才歌手YUIさんの復帰を期待しています!