小山さんは神妙な趣でこう語った。
「キャッチボールしたいって思いましたけど、でも母親がなぜそれ(離婚)を選んだかってゆう理由を分かり始めてからは、まったく思わなくなりました。」
「息子だからかもしれないけど、母親の味方なので。母親が幸せであることが子供の幸せであるってゆうか・・」
「キャッチボールよりも、父と別れた母を応援したい気持ちが大きかった。」幼いながらに母親の事情を察して母親を応援してきた小山の過去を聞いた他の出演者たちは、その言葉に感動を隠せなかった。
「不幸とは思わなかった。幸せだったから。」
小山は大学を卒業するとき、一般企業(旅行代理店)への就職活動を進めており、デビューがなかったら恐らくは一般の会社員になっていたという。その感覚は、教育のしっかりした家庭環境で育まれるものである。小山の母はラーメン店で夜7時から朝3時まで働き通しで、一緒にいることはほとんどなかったという。小山は語る、一緒にいる時間じゃなくて母が一生懸命に頑張るその姿が、寂しさを感じさせなかったと。頑張る母を支えたい、応援したいと思う気持ちが小山の人間そのものを育てた。ジャニーズでは異色の苦労人であるが、そんなことを感じさせないキャスター姿が小山さんが人気であり続ける所以なのかもしれない。