“若かったとはいえ許されない行為”くりぃむしちゅー上田、大失態の思い出に考えさせられる

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テレビに欠かせない人気者も、かつては無名。芸人の場合には、付き人になって芸能界のイロハを習得していくことは通例である。
くりぃむしちゅーもそうだった。上田晋也と有田哲平は熊本から上京後、コント山口君と竹田君に弟子入りした。

コント山口君と竹田君


山口君と竹田君は1983年にデビュー、1984年には「お笑いスター誕生!!」に出場し、準決勝・決勝で100点をを出して優勝、1980年代にはお笑いのトップ層に位置していた。
1991年、立教大の学生だった有田と早稲田の学生だった上田は、芸能プロダクションを経営していた山口君と竹田君を訪ねた。
山口君が

「学生と芸人の二股は無理だ」

とアドバイスすると、上田は中退、有田も偶然の父親死去による経済的事情で辞めた。
以降、有田は山口君、上田は竹田君の付き人となった。
山口君と竹田君は、自分たちの身の回りの世話や移動といった雑用は、2人の弟子にはいっさいさせなかった。
直接的に芸を学ぶ以外の時間は、映画やライブ、舞台を見て自分の感性を磨くように指導した。アルバイトに追われて芸の勉強に集中できないと困るため、最低限の暮らしができるように給料も与えた。
徒弟制の多い芸人の子弟関係であるが、山口君と竹田君は業界の慣例に縛られることなく有田と上田が芸を磨くことができるように心遣いした。
にも関わらず、有田と上田は非常識なことやって師匠に恥をかかせることがあった。
有田と上田の非常識な行動とは?続きは次のページでご覧下さい。