西城秀樹が2度の脳梗塞を経て還暦を迎え、現在思うこととは??→その言葉の重みに命の大切さを改めて考えさせられる。。。

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2度の脳梗塞、「死にたい…」と思う日々

1度目の脳梗塞は、2003年6月。ディナーショーのため、韓国を訪問していた時でした。発症を受けてディナーショーは急きょ中止せざるを得なくなりましたが、この時は約1ヵ月で退院しました。
脳梗塞の後遺症として歌手としては致命的な「声が出にくくなる」というものがありますが、幸いこの時の症状はそれほど深刻になることはありませんでした。

しかし、2011年再び脳梗塞が発症するのです。
1度目の脳梗塞を経験してから食事も運動も気を付けてきたのに「どうして僕が(脳梗塞に)なるの!?」という気持ちが大きく、そのまま半年は立ち直れなかったそう。
1度経験しているからこそ脳梗塞に対する知識があり、右手右足のしびれ、鈍痛…歩く気力も努力する気も無くなり何もしたくない状態が続く中で「あ、死んじゃいたい」とまで思ったほど精神的に限界の状態が続いたのです。

そんな西城さんに転機が

公園でリハビリをしていたときのこと。
そもそもこれまでトップスターの道を歩んできた西城さんが一変、近所の公園でリハビリをし、弱った姿を見られることに抵抗があったことは言うまでもないですが、自分と同じ脳梗塞の70歳ほどのおばあちゃんが足を引きずりながら歩いているのを見かけた時に…

「大変なのに頑張っているんだな、僕も出来ることを見つけなきゃいけない」と思ったのだとか。この、「自分に出来ることをやってみよう!」と決意したことが復帰への道を見出すひとつのきっかけになったのだとか。

もうひとつのきっかけ

苦しいリハビリの日々…一時は「死にたい」とまで思っていた西城さんを立ち直らせたのは他でもない家族の支えでした。奥さんと3人の子供たちが献身的に西城さんを支えたのです。
なかでも、長男は「パパ、歌を止めないで。止めたら僕嫌だから。」と話したそう。この言葉は西城さんのトップスターとしてだけでなく父親としての西城さんの心に響き、何事もあきらめず前向き姿を子供たちに見せていきたいという決意につながったそう。
そして今は「子供たちが成人するまでは歌い続ける」という新しい目標もできたのだとか。

還暦ライブと60歳を迎えた心境とは?

60歳を迎えた心境を聞かれると、
“不思議ですね。ヒデキ、感激!じゃなくてヒデキ、還暦!」。その上で「再スタートという意味で頑張りたい。1つ1つ、心に響く歌を歌いたい”と語った西城さん。

ライブでは元日本テレビアナウンサーの小倉淳が司会を務め、山口智充、松岡充、河村隆一などの豪華メンバーや、『THE CONVOY』の今村ねずみらがお祝いに駆けつけ、エンディングでは「ヤングマン」を熱唱するなど大盛況の中フィナーレを迎えました。
また、ともに「新御三家」と呼ばれ昭和の時代を駆け抜けた野口五郎がサプライズで出演し、二人が抱き合う場面も。

多くの過酷な状況を乗り越えてきた西城さん。
「かつて昭和のトップアイドルだった西城さんが自身の弱った姿を披露することに抵抗はありませんか?」という質問に対して…
「あえて自分をさらけ出した楽になりました」と答えており、大スターの貫禄はいまだ健在のようです。
病気と向き合いながら一歩ずつ進む西城さんはこれからも多くの人たちに勇気を与えてくれることでしょう。これからの活躍にも期待したいですね!