「アホちゃうねんでん。パーでんねん。」明石家さんまが残した昭和の名言の誕生秘話に驚かされる

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みなさんご存知の明石家さんまさん。昭和のお笑い界を牽引してきた彼ですが、あの名ゼリフの誕生秘話をご紹介したいと思います。

関西お笑い芸人の宿命

大阪で激しい競争を勝ち抜いた芸人は、そのまま関西の人気者として生きていくか、東京に進出してもう一度売れる茨の道に進むのかの2択に必ずぶつかります。
東京に進出しても「M1グランプリ」王者みたいな称号が無いことにはなかなか東京で売れることができません。
そんな中、関西と関東で勝ち抜いたのが明石家さんまさんです。
彼は関東でも成功し、今でも司会者などで全国で大きな功績を残しています。
こんなさんまさんのあるギャグが関西の頃の子供から買っていたのをご存知のでしょうか。

関西のカリスマ芸人月亭八光


関西にはそのまま地元に残り、カリスマと言われる芸人がいます。それが、月亭八光さんです。彼の父親は上方落語界の重鎮・月亭八方。上方落語協会理事で、この道48年の大御所です。
八方さんは息子に、親を越えて、七光りと言われないで欲しいという思いを込めて八光と名付けたそうですが、現実には、息子八光さんは、親の七光りにどっぷりつかってしまっていました。
そんな彼の誇りというのが明石家さんまさんのギャグの誕生と深い関わりがあります。いったいどんなことなのでしょうか。
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