デヴィ夫人、スカルノ大統領との出会いはナンパ!?壮絶な人生が判明し話題に!!

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決して裕福ではなかった幼少期

「大統領夫人」と聞くと、裕福な家庭に育ち、当たり前のように出会い、結婚したのだろう、と思いがちだが、デヴィ夫人の家庭は裕福からかけ離れていた。

母と弟の3人暮らし、借金があったこともあり長女としてどうしても働かなくてはならなかった。

芸能活動をしていた15歳、映画のエキストラとして出演するも、売れることはなかったデヴィ夫人は、「私が16歳。浅丘ルリ子さんも16歳。彼女はもうスターだったんですよ」と同年代の浅丘ルリ子について当時の胸の内を明かし、2ショット写真を披露した。

中学を卒業してすぐ千代田生命で勤めながら定時制高校に通っていたデヴィ夫人。
その後、高校を中退し、赤坂のサパークラブで働くこととなった。

外国人セレブ御用達!?そのサパークラブとは?

デヴィ夫人が働いていたサパークラブ赤坂の「コパカーナ」。

そこは、外国人セレブ御用達の超高級店で生歌を披露するような店で、「マイウェイ」で有名な歌手フランク・シナトラが3600万円のギャラで招かれるほど。

そこで働いていたデヴィは、当時のサラリーマンの月収を1日で稼ぐほど人気だった。
それは単に美しいからというだけでなく、日舞や英会話まで習得していて、常に自身の鍛錬を欠かさなかった努力の賜物だった。

大統領からのナンパ!?

運命の出会いを果たしたのは、デヴィ夫人19歳のとき。
友達との約束があり待ち合わせをしていると、たまたま訪日中のスカルノ大統領一行がその前を通りかかった。

すると、副官の一人に「どうぞ」と帝国ホテルで行われていたティーパーティーに招かれたデヴィ夫人。
スカルノ大統領の一目惚れだったのだ!
英語が堪能だったデヴィ夫人は、すぐに大統領と意気投合したという。

その後、再び招かれ、デートを重ね、出会いから3年後のデヴィ夫人22歳の時、大統領夫人となった。
こうして、デヴィ夫人の人生を見ていると、なるべくしてなっているような気がしてくる。

彼女は貧乏であったが、決して努力を怠らなかった。
貧乏だからと卑屈になることなく、影での苦労を見せることなく、きっと笑顔で明るく暮らしていたに違いない。

スカルノ大統領の失脚後も社交界で活躍し、フランス人映画俳優をはじめ多数のセレブと交際していたというデヴィ夫人。美貌もさることながら、過去の苦労を感じさせず、明るく上品な今のデヴィ夫人を見ていればそれも納得だ。