自分が求められる限り
若手の頃から人気があり、ずっと第一線で活躍されてきたビートたけしさん。4月6日放送の『ビートたけしの私が嫉妬したスゴい人』の番組内で、ビートたけしさんに「この長い芸能生活で、もうそろそろやめたいなと思ったことないんですか?」との問いに自身は「ずーっと思ってるよ」と答え、他の出演者たちを驚かせました。そして「でも芸人ってのは客次第っていうかさ、お客が持ち上げてくれたのに、自分でそれ切れるかっていうかさ。まだビートたけし見たいやつがいて、ある程度数がいて、局から仕事が来れば、来るよ。もうやめましたとは言わないな」と話し、自分が求められる限り、引退はしないと明言されましたが、「それ(求められること)が徐々になくなって、自然消滅の形じゃないかね」と、自身がやめるときのイメージを語りました。
微妙な変化
この自身の引退のイメージを聞いた出演者は、たけしさんに人気ラジオ番組だった『ビートたけしのオールナイトニッポン』をやめた理由を尋ねました。そのときも、もっと聞きたいと思っていたリスナーがいたはずだと質問すると「しゃべっている中で、適切な言葉がすぐに出てこなくなってしまったから、10年続けたこの番組を、8年目にやめようと思った」と、その理由を説明しました。また、漫才をやめたのも同じ理由で「漫才もいいペースでしゃべってて、自分でネタ作って自分で落としてんだけど、相棒がしくじるとそれにツッコむじゃん。その言葉が、“何とかじゃねえんだ”って、何とかの(部分に入る)人の名前が、一番ぴったりした名前が、分かってんだけど、出てこないんだよ」と弁明。なんと、ツッコミが思うようにできなくなったため、漫才をやめたと明かしました。
関心
「ビートたけしさんが『オールナイトニッポン』をやめようと考え始めたのが、番組開始から8年目の1989年だとすると、当時のたけしさんは42歳。まだ滑舌が悪くなったり、思ったことがパッと出てこなくなる年齢とは思えませんよね。しかし、この年、映画監督“北野武”作品の第一作目である『その男、凶暴につき』が公開されています。そのため、漫才やお笑いだけでなく、いろいろなジャンルに関心が広がったため、それまでのようなツッコミやトークに全力で没頭できなくなったのが、言葉が出てこなくなった理由かもしれませんね」(お笑いライター)
他の芸人に比べれば、たけしさんのトークやツッコミは、当時も全く切れ味が悪くなかったはずです。しかし、プロとして天才が故のプライドが、その微妙な自身の変化を許せなかったのかもしれません。求めている方がいる限りまだまだ現役で、私たちを楽しませて欲しいです。