2011年起きた千原ジュニアの事故。その復帰を応援した芸人たちの色々な方法に胸が熱くなる

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千原ジュニアの事故

千原ジュニアの事故はかなり酷いものでした。少し怪我を並べてみると、
前頭骨骨折
鼻骨骨折
下顎骨骨折
頬骨骨折
眼窩底骨骨折
眼窩内壁骨折など

生死をさまよいましたが命はとりとめ、顔面の修復手術を受けました。
顔には今でもチタンが入っており、一生取ることはできません。
顔の見た目もかなり変わりました。

真っ先に駆けつけた板尾創路

この事故で顔面がかなり変わってしまい、千原ジュニアは作家になることを考えていました。
そんな千原ジュニアの元に最初に駆けつけたのは板尾創路。
こんな声をかけました。

「はよ、戻ってこいや!」

そして一冊の雑誌を置いていきます。
それは

『今度はベスパ(バイク)に乗ろう』

芸人らしい、かなり皮肉の効いた差し入れですね。
見舞いと一緒に笑いを届けるなんて、なかなか思いつかないでしょう。

明石家さんまの応援

その後、退院したジュニアがテレビ局内を歩いていたところ、明石家さんまと会いました。
そのとき、さんまさんは、

「あ、お見舞いに行かれへんかったけど、何か欲しいものはあるか?」

と声をかけます。
千原ジュニアはボケのつもりで、

「レギュラー番組を!」

と答えます。
それからしばらくしたある日、TBS局内を歩いていると向こうからスタッフがやってきて、

「千原さん、ありがとうございます」

とお礼をされます。その時のジュニアには意味がわかりませんでしたが、こういうことでした。

TBSの人がさんまさんに「さんまさんと深夜番組をやりたい」とお願いしてたが、ずっと断られていました。しかしその後、一変して、

「千原ジュニアをレギュラーにするんならやるよ」

と、さんまさんがOKを出しました。
さんまさんならではの粋な計らいです。

千原ジュニアの人柄

千原ジュニアはデビュー当時、「ジャックナイフ」と呼ばれていました。
不登校の経験があり、デビューしてからも人を寄せ付けない雰囲気だったからです。

その後、性格が柔らかくなって、芸人活動に没頭していきます。
そんな人柄が芸人たちにとっては魅力的で、このように応援したくなるのでしょう。