逸見政孝、死の裏に隠された衝撃の裏話…→弔辞を読めないほど落胆した、ビートたけしの理由に大号泣。。。※動画あり

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大好きな酒とゴルフを絶ったビートたけし

逸見との俺の関係に自信はあるから「私も心配しています」という必要はない。とマスコミに対して言い放っています。ビートたけしらしいですね。
逸見さんが癌の再発で再入院することを知ったたけしは、その日から告別式の日まで酒とゴルフを絶ったといいます。また仕事もすべてキャンセルしました。たけしなりの願掛けだったのかもしれません。

逸見家からお見舞いに訪れるも変わり果てた逸見さんの姿に衝撃を受け「いい人ばかり先に死んじゃうんだ。俺がもっと悪いことを教えてあげればよかった」と告別式の間、始終号泣していました。

弔辞を読むのは実はたけしだった

逸見さんへの弔辞を読むのはたけしでしたが、たけしが泣き崩れてどうしても読むことができる状態ではなかったので、山城新伍が「これを読むと余計辛いだろうから代わりに自分が読むよ」と言って代わったそうです。山城新伍の心意気にも感動しますが、たけしの逸見さんがもういないというショックの思いが強すぎるのがよくわかります。

出典:youtube

動画を見た視聴者のコメントを一部ですが紹介します。

この人を知らない世代が成人してるんだよな。信じられないわ…

 

0歳の頃だった俺が人の死を初めて実感したのが、身内や親戚や友達や知り合いでもなく TVでいつも見ていたこの逸見さんでした。
平成教育委員会での逸見さんの存在感はクソガキの俺でも感じていたようで、このニュースが終わってからビートたけしの隣が中井美穂になった時に初めて「あ・・・イツミマサタカさんはしんじゃったんだ」と実感したと共に、この世から人が死ぬというのはどういうことになるかを理解した覚えがしっかりあります。

 

逸見さんが亡くなって23年が経とうとしています。逸見さんは今のテレビ業界の状況をどう思っているんでしょうね?もしかしたら喝をいれてるかもしれないな。

平成教育委員会の切ない最終回

逸見さんが亡くなってから1997年9月まで続いた長寿番組「平成教育委員会」のエンディングでたけしは、

あの、なんか、すいませんでした。

ゴメン・・・

いろいろみんなありがとう・・・・・・なんてね!!

最後のなんてんね!!とおちゃらけていますが、たけしの目は心なしか赤く泣きたいのにここで泣いたらダメだという様子が見てとれます。助手役を務めた小島奈津子アナウンサーから「長いようで短かったですが、6年間は?」と聞かれたたけしは、俯き声を詰まらせながら、

やっぱり、いろいろね、、、いろんな人のことをこう、、、ありがとう。

コメントにならないようなコメントですが、たけしの気持ちが全部詰まっているような、そんなコメントだと感じました。たけしは本当に泣いていました。

番組の最後に流れたのは、1991年10月19日放送の第1回目の「放課後」コーナーでした。生徒が帰り、笑い合いながら2人が席を立ち肩を組み教室をあとにするというバラエティとは思えない切なく悲しいエンディングでした・・・。

逸見家とたけしの交流は続く

逸見さんの長男・太郎は1998年、たけしがメガホンを取った映画HANABIで俳優デビューしています。

父の死後、留学するつもりだった息子太郎でしたが、それを取りやめ俳優デビューすることを強く望みました。しかし、たけしは大反対。逸見さんの希望を汲んで留学をし、卒業することを強く勧めました。天国の逸見さんもそういうよなぁとたけしは感じていたのでしょうか。太郎は、エマーソン大学を卒業後芸能界入りしています。

その後もたけしやたけし軍団と草野球するなどの交流は続いているようです。

色あせることのない逸見政孝さんという人物を、たけしだけではなく、視聴者も慕っていました。なぜこういう人は早く亡くなってしまうのでしょうね。この時のことを思い出すと目頭が熱くなります。