タヒぬということを
理解できない年頃でしょうが、
それでなんとかその先ずっと
押し通すことができました。
その後、私は実家の土地や
先祖代代の山、田を全て売って、
タヒに物狂いで働きました。
貯金もかなりの額になりましたが、
娘の大学進学のために
使う予定だったので、
住んでいたボロ
アパートからは引っ越さず、
今まで通りの質素・貧乏・
倹約生活を続けました。
娘が中学生になって、
あることを聞いてきました。
「どうしてママの遺影とか
飾ってないん?」
「ママのお母さんとか
お父さんってどんな人?」
嘘も限界がきたな、と思いました。
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