本人曰く「軽いストーカーのよう」
俳優をするうえで、尊敬する北野武監督のいる「オフィス北野」に所属するきっかけになったのは、
1992年に北野武監督が、アメリカハリウッドにいる噂を知り、
実家の父親に借金をしてアメリカへ行き、どこに居るのかも知らないままニューヨークから1ヶ月もかけて、
バスを乗り継ぎ、北野武監督に会いに行った事がきっかけだそう。(笑)
その際に、
“「兄ちゃん、ちょっと飲みに行こうぜ!」”
と飲みに連れて行ってくれ、
北野“「アメリカでなんか面白いことあったか?」”
寺島“「いやぁ、バスのなかでタバコ吸ってたらテキサスのど真ん中で降ろされちゃいましたよ」”
とその珍道中の詳細を北野武監督に話すとゲラゲラ笑いながら、
北野“「うちのヤツらは無茶するやつが多いなぁ」”
“うちのヤツら”って言われたのが嬉しく、
また当時は『ソナチネ』を制作する2ヶ月前だったらしく、
北野“「兄ちゃん、今度沖縄連れてってやるから。で、おれの舎弟の役やってもらうから」”
そして、その後北野武監督作品の常連となります。
そして、オフィス北野の一員へ
北野武監督と語り合う機会が作れたことで、寺島進さんは「オフィス北野」の一員になるチャンスをつかみました。
大物の北野武監督も、アメリカハリウッドまで、金もない下積みの俳優が会いに来てくれた事が嬉しかったのでしょう。
寺島進さんが、生まれ育った江東区も人情味がある土地ですが、
北野武監督自身も、東京都足立区の出身ですから、人情味や男気ある性格を感じる素晴らしいエピソードですね。
また、何よりも寺島進さんの行動は、
“自身の努力で尊敬する人と縁を作る努力をして、己の道を切り開く”
スケールの大きい、素敵な話です。
人間、一見すると無茶苦茶と思われそうな行動が、人生の転換点を見出すのかもしれません!