苦労したからこそ今がある?TOKIOの2人は売れない時代、壮絶な貧乏生活だったと話題に!!

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「(俺たち)終わったな」

惜しまれつつも解散したSMAPがデビューした1991年。SMAPが世間の注目を集める中、なかなかデビュー出来ないジャニーズJr.達。彼らは「(俺たち)終わったな」という諦めにも似た言葉を呟いていたそうです。その中には、城島さんと山口さんもいました。

当時の二人は、「平家派」という光GENJIのバックダンサーとして結成されたユニットに所属していました。メンバーは他に、同じTOKIOの国分太一さん、V6の坂本昌行さん、長野博さん、井ノ原快彦さんがいました。

SMAPの活躍により挫折した仲間は次々と辞めていき、山口さんも悩んだそうですがなんとか踏みとどまっていました。

アルバイトの日々

山口さんが高校生の時に平家派は解散。アイドルの仕事が無くなった山口さんはガソリンスタンドでアルバイト。

18歳になってもアイドルの仕事は年に一度、ミュージカルがあるだけ。山口さんは、カメラ店を回ってフィルムを集配する仕事もしていました。

その後、山口さんは合宿所を出て一人暮らしを開始。でも、冷蔵庫が買えずジュースはボウルに氷を入れて冷やしていました。

山口さんの部屋を訪れたことのある松岡さんは、日当たりはいいが、エアコンもカーテンも無いから朝日が暑くて目が覚めたと語っています。

松岡さんは、城島さん、山口さん、国分さんの三人が所属するTOKIOの全身グループに入りました。しかし、年長者の三人がデビュー出来ないので自分もデビュー出来ないのではと思っていたそうです。

特に城島さんは酷く、食事もきちんと出来なくて栄養失調になっていました。城島さんの姿を見た松岡さんのお母さんは、城島さんにお米をあげたそうです。

食べるものが無かった城島さんは、夏場に放置されて腐った水炊きを食べたこともあるそうです。
TOKIOの皆さんが無人島開発を苦としないのは、こんな大変な思いをしてきているからなんでしょうね。
これからも、TOKIOの活躍が楽しみです。