落馬し馬場にうずくまる後藤浩輝騎手から離れないシゲルスダチ
後藤浩輝騎手の最初の大きな怪我は2012年のNHKマイルカップのことでした。
シゲルスダチに乗って出走しましたが、最後の直線で他馬と接触し馬もろとも後藤浩輝騎手も転倒してしまいます。激しく地面に叩きつけられました。
うずくまり動けない後藤浩輝騎手。このような状況になると馬は普通パニック状態になりどこかへ走り去ってしまうことが多いのですが、シゲルスダチは後藤浩輝選手の周りを離れようとしなかったのです。
シゲルスダチは動けない後藤浩輝騎手を心配し、見守っているように見えました。
このシーンはテレビでも放映され、競馬ファンならずとも感動を呼び、胸をふるわせる名場面となりました。
後藤浩輝騎手の怪我は「頸椎骨折の疑い、頸椎不全損傷」というもので、復帰するまで四か月の歳月を要しました。
大きな怪我で復帰できるか心配されましたが、シゲルスダチが心配して後藤浩輝騎手を気遣う姿も、人と馬との垣根を超えた名シーンとして感動を呼びました。また、後藤浩輝騎手の人柄も皆から信頼され愛される存在だということが伝わってきます。
シゲルスダチがまさかの予後不良
後藤浩輝騎手の怪我から2年半後のことでした。
2014年11月東京競馬場であった奥多摩ステークスで出走したシゲルスダチは12着でゴールしたのですが、ゴール前で故障してしまい予後不良となってしまったのです。
その時ちょうど後藤浩輝騎手はラジオの解説で東京競馬場におり、シゲルスダチの故障が大きなものだとすぐに分かったそうです…。
後藤浩輝騎手はシゲルスダチについて次のように想いを書いています。
自分が馬場に打ち付けられ動けない状態のとき、シゲルスダチはパニックで走り去ることなく自分のことを心配するかのように近寄りました。後藤騎手は「僕もそんな馬は今まで見たことがありませんでしたから本当に大好きな馬になりました」と。
シゲルスダチの故障がなければ、次走は後藤騎手が乗ることに決まっていたそうです。
「死んでしまったことはやっぱり悔しいし悲しくて仕方ありません。もう一度彼と走りたかったです。」と悲しみが止まりません。
「でも彼は偉かった。自分の足がブラブラになって地面につかない状況でも2度とひっくり返らないぞ、ジョッキーを落とさないぞ」と必死に最後まで走りぬく強い馬でした。ありがとうスダチ。安らかに。」と戦友を称えました。
シゲルスダチを追うように亡くなった後藤浩輝騎手。競馬ファンの間で涙なしでは語ることができません。