突如襲った、中川家の兄「剛」のパニック障害→二人三脚で乗り越えた兄弟愛に胸が熱くなる。。。

【PR】Akogare




実は「中川家」結成後すぐに兄・剛がパニック障害に

今でこそ、多くの人に知られていることですが、兄・剛がパニック障害を発症したのは1997年でした。
兄・剛がパニック障害を発症する前、1996年、NSC在学中から売れる芸人の登竜門と呼ばれる賞を受賞していて順風満帆なお笑い街道を進んでいました。
しかし、兄・剛の突然のパニック障害を患ってしまい、最終的にはレギュラー番組はラジオ1本のみとなってしまいました。

今でこそパニック障害=精神病という認識は高いですが、当時はこの病気に対する周囲の理解や知名度が低かったと言えます。不安障害の一部として分類され、兄・剛は不眠症まで併発していました。

二人三脚で行こうよ、二人一緒でなければだめなんだ

パニック障害ひとつとっても、症例はひとりひとり異なります。兄・剛と明石家さんまとの対談で語られています。本人は深刻であるはずのパニック障害のことを芸人である剛はユニークな口調で語っています。

例えば、仕事場まで電車で行かなければならないという時。兄・剛は乗り換えのため、ホームで電車を待っている間突然仕事に対する恐怖に襲われ、そのまま職場とは逆方向の電車に乗ってしまったそうです。
これは無意識ではなく意識的だと話すと、明石家さんまから「ワザとなん?」と訊かれて「はい。イヤになって」と深刻な様子は微塵も感じさせず答えるのです。
さらに、職場に到着しても「イヤになって」そのまま家に帰ったといいます。

弟・礼二も本人に対して「気持ちの問題ちゃうか」と突き詰めたそうです。
1997年といえば、まだまだ精神論がまかり通っていた時代です。ここから、精神科の医師に相談するなど治療に専念すると自然に周囲の反応も変化していきました。
弟・礼二もパニック障害という病に理解を示すようになり、「代わりに自分ががんばろう」という気持ちになりました。

弟・礼二は兄がパニック障害を患っている間、中川家をダメにしてはいけないと思いなんでも一人でやった経験が今に活きていると兄・剛に感謝しています。一方兄・剛はパニック障害のために中川家をダメにしてはいけない、芸人をやめると言い出しましたが、弟・礼二は「二人一緒でなければ俺もやめる」ときっぱり拒否しました。
お互いがお互いのことを大事にしている証拠ですね。

症状も落ち着いてきたころに二人の舞台が増えてきてM-1グランプリ優勝という華々しい栄光が待っていました。これらのエピソードは「世界仰天ニュース」でも感動ストーリーとして取り上げられています。

弟・礼二のトラブルから芸能界を干されていた時期もあった中川家。それを励ましたのは兄・剛。パニック障害で理解を示してくれた弟への感謝の意を示すように。

中川家の驚きのエピソード

兄のパニック障害、弟のトラブルなど苦難を乗り越えてきた中川家。これを上回る裏話が実はあります・・・。

関西出身の芸人にはよくある「実家ネタ」その格がちょっとだけ違う中川家。

実家には浴室がありませんでした。銭湯が休みの日はお風呂に入れず、どうしても入りたかったときは、玄関にお湯を張っていたといいます。
貧乏だったので、クリスマスにはケーキではなく焼き魚にロウソクを立てていました。泣けます。
このエピソードは「クリスマスには焼き魚にローソクを」というそのままのタイトルで書籍化されています。

お父さんもいわゆる頑固おやじで、おもちゃはすぐに壊れるという理由から買ってもらったことはなかったとか。子どもたちの唯一の楽しみは父親が会社からグランド花月のタダ券をもらってくるので、そこで見る漫才だけでした。
昔よくいた頑固おやじそのものですね。